江波冨士子

Interview

Fujiko Enami

Nov, 2020

Interview

連載 一粒のムリーニから

episode 3

「 ムリーニとの出会い、変遷 ~後編~ 」


リチャード・マーキスさんのワークショップを受けたときのことです。彼はまずこう仰いました。


「ムリーニをつくることは誰にでもできます。それは時間をかけ、手間をかければ誰にでもできます。いちばん大事なのは、そして問題なのはそれをどう使うかです」


私の場合、ムリーニを吹きガラスで使います。ガラスというのは色によって硬さが違うのです。やわらかい色と硬い色に、同時に熱を加えてゆくと、やわらかい色だけ伸びて模様や形が崩れてしまいます。ですからとても良い色なのにやわらかすぎて使えない、あるいは膨張係数が違うためにひびが入って使えない色というものもたくさんあります。そんな時は硬い色同士を組み合わせたり、硬い色に少しのやわらかい色を細かく混ぜ込んだりして、使いたい色に近づけるという工夫をしています。






そのように性格や伸び方が微妙に違うガラス同士を、一つの作品の中に並べて吹きガラスで熱を加えてゆくと、やわらかめのガラスは伸びてゆきますし、より硬い色は伸びずにとどまろうとします。すると色ガラス同士の境の表面に凹凸が生まれ、光の受け方が変わってきます。それが表情となり、ムリーニを吹きガラスで使うことの面白さとなるのです。


冒頭の師、リチャード・マーキス先生の教えを大切に、私はムリーニをつくる際、色はもとより硬さ、組み合わせ、熱を加えた時のガラスの動きなどを考えながら…というより経験を積み重ねながら材料をそろえてゆきます。



たとえば動画の中でも、黄色い花びらのパーツをつくるときに、内側に使っている少しやわらかめの色に、縁取りとして少し硬めの色を被せてゆく訳は、そのようにしてつくった材料に、熱を加え、吹き伸ばした際に出てくるほんの少しの凹凸が表情となることを経験から学んだからなのです。


2014年にイタリアのヴェネツィアを訪れた際、歴史あるモザイクガラスのエルコレ・モレッティ工房を訪ね、私の作品を数点ご覧いただきました。その中に“花の庭”柄の作品もあり、モレッティさんはちょっと驚かれたのです。私の花模様のムリーニは「バラ、デイジーなど色も花びらの形もそれぞれ違っていて、型を使わずにつくられている。しかも花びらには縁取りがしてあり、ムラノでつくられている花のムリーニとはつくり方が違う」と仰ってくださいました。



花の庭


イタリアで“千の花”を意味する“ミレフィオーリ”は、さまざまな色合いの花模様が、お皿やペンダントにぎっしりと組み込まれている意匠が有名です。そこに使われている一つ一つの花は、型(モールド)に入れられてつくられていて、パターンは限られています。ムラノ発のものとは違う私の花を見て「これは面白いですね」とモレッティさんはほめてくださいました。


翌2015年、イタリアのヴェネツィア国立東洋美術館で潮工房展を開いたときに、会場で私の作品をご覧になったイタリアの方に「これは元々、ここヴェネツィアで生まれたムリーニ技法なのです」とお伝えしたら、「これがムリーニ?」と聞かれたことがありました。





こうしたことをきっかけに、私のムリーニがどういうものなのかということを自分自身で振り返るようになりました。使う色についても視覚的にパッとした効果で見せるというよりは、もう少しニュアンスの中を行きつ戻りつして決めています。それはおそらく私が日本人だから出てくる考え、感覚なのだと思います。モザイク(ムリーニ)というはっきり色分けできる技法を使いながら、わざわざ曖昧なグラデーションにしたり、透明な余白を取り入れたりというところは、本来のモザイクで目指すものとは、そしてリチャード・マーキスさんのモザイクとも、一線を画すものだと思います。


2018年、私は思い切って1年間、ヴェネツィアに語学留学を兼ねて滞在しました。ムリーニ発祥の地で、そこの空気を吸い込み、ワインを飲み、片言ながらイタリア語を発音することで、さまざまなことを肌で感じながら過ごすことができました。自分のムリーニがオリジナルのイタリアのものとは少し違うところを歩んでいるということがはっきりしたからこそ、自分の道を精進しようと思えるようになったのかもしれません。





次回は、「私のエポックメーキング」についてのお話です。


連載「一粒のムリーニから」
episode 1ムリーニの起源・語源
episode 2ムリーニとの出会い、変遷 ~前編 ~
episode 3ムリーニとの出会い、変遷 ~後編 ~
episode 4私のエポックメーキング~