山本亮平・平倉ゆき

Interview

Ryohei Yamamoto & Yuki Hirakura

Sep, 2020

Interview

新「小物成窯」


山の土で窯をつくる


登り窯を造りたいと思って、有田町内に限らず、伊万里や唐津までくまなく2年くらいかけて土地を探しました。山を売ってくれるところって、意外とないんですね。この山を紹介されたときに、悪くなさそうとは思ったんですけれど、当時は木が生えていて森の状態でしたから躊躇したんです。でも一大決心をして、ここに決めました。そうしたら、すぐに妻の両親がチェーンソーとかワイヤーとか一式持って来てくれて。両手で抱えるくらい太い木を、バッサバッサと切り始めて…。それは、本当にすごくて、高さ30メートルくらいある木も倒してくれて。あっという間に、1週間くらいで切り倒して、拓けたは拓けたんです。ただ、自分の仕事もしつつだったので、しばらく1年くらいは放置した状態に。やっと仕事の目処もついて、土地の造成だけプロにお願いして、ある程度の傾斜をつけてもらいました。そこから、ようやく窯造り本番ですね。




鍬を片手に、ひたすら上まで掘って行くんですけれど、どんなふうに掘ろうか、いちばん参考になったのは古い窯ですね。有田にも唐津にも、古い窯跡には窯床の段々が残っているので、本当に参考になりました。自分なりに考えて掘って、ひたすらコツコツと…。たまに友人の作家も手伝いに来てくれました。


ここの土地を買う決め手となったのは、やはり土です。初めに、この山から掘った土を、ガス窯で焼いてみたんです。そのまま焼きものになって、もうパリパリに焼き締まって。ちょっと黒いんですけれど、そこそこ強くて、いい土だとわかりました。たぶんこのまま轆轤をひいたら器になるだろうなという土で。これなら山を掘って、掘った土をそのまま使って土窯が造れると思ったんです。さすが産地だなあと。窯にしても、原料にしても、有田や唐津が一大産地になった理由がわかるような気がしました。






とはいえ、何しろ土窯の造り方がそもそもわからない。それで、土の窯といえば、唐津の梶原靖元さんですね。梶原さんの窯に行って、梶原さんが造っていたときの写真を見せてもらったり、造り方を聞いたりして、だんだんとイメージを膨らませました。


妻のお爺さんにも、話を聞きに行きました。今90何歳かな。お百姓さんの100の手じゃないですけれど、昔ながらの何でも自分でやる人で、農業もやるし、庭師もやるし。炭窯もつくったことがあるというので聞きに行って。そうしたら、伐採した木を立てて窯に敷き詰め、そこに土を被せて叩き締めていく、というやり方を教えてくれました。まさにこれだ!と思いました。自分たちも伐採した木ならいくらでもあるので…。そこから結構、人が手伝ってくれたんですね。伐採した木を立てて並べて、窯の芯材にして、その上に土をコツコツ積み上げて行く作業が始まりました。




窯床を掘ったときの土が、横の方に山のようになっていたんですね。関根伸夫さんの作品「位相ー大地」みたいな感じに。掘った分が横にあるので、それをまた窯に積み上げていきました。毎回手伝いに来てくれる人がいて、こればっかりは本当に地道な作業なので助かりましたね。ひたすらコツコツと、土をちょっと被せては玄能げんのう(木のハンマー)で叩いて、叩き締まったら、また重ねて叩く。これを繰り返しながら少しずつ積み重ねて行くんです。ここの土にトンバイ煉瓦の砕いたのを少しだけ混ぜて、ちょっと水を入れて、しっとりするくらい。このときに、なかなか進まないからって手を抜いて、土を多めに被せたりすると、後から崩れてしまう。窯の前の方から順に後ろに向かって行くので、後ろの方に行くほど上手くなっていて、なので後ろは丈夫なんです。火の強さも関係あるかもしれないけれど、やっぱり積み上げ方が慣れていったからでしょうね。積み上げ方というのも、いろんなやり方があって、これから積み上げていくぞという前日に、ふと菓子職人でありお茶の先生でもある草伝社の原和志さんと話をしていたら…。原さんも自分で造ったことがあるというので、聞きに行ったり、来てくれたりもして。たぶんいちばん合理的かなと思ったので、このやり方にしました。




最初は土を積み上げるだけだから、2週間くらいで終わるんじゃないかと思っていたのに、2~3ヶ月かかりましたね。窯の外側、外形が出来上がったのが、2019年12月。春に個展を控えていたので、何とかこの窯で焼きたいと思って、年明けてお正月から、窯の内部を造る作業に移りました。窯の芯材とした太い丸太が、窯の中にぎっしり詰まってるので、それを燃やすことに…。今まで生きてきた中でいちばん緊張した瞬間だったかもしれません。手前で火を起こして、炭をつくる要領で燃やして行くんですね。一度火を点けたら、後は勝手にじわじわ燃えていくんですけれど、3日目くらいに嵐が来てしまって。そのときは本当に大変というか緊張しましたね。窯も熱でところどころ崩れ始めて、しかも屋根がまだ完成してなくて、ブルーシートで覆った状態でしたから。風がビュービュー吹く中、少しずつ亀裂から窯の中の炎が吹き出し始めたりして。もう、見守るしかなかったです。その嵐の夜を乗り越えて、さらに合計1週間まるまる燃え続けました。ただそれだけ燃えると、窯の中は焼き締まるんですね。1週間前までは巨大な生土だったものが、ちょっと焼きものになってきたというか…なんとも言えない感じで。ただ、全然完成した感じはなくて。それは今でもないんですけれど、常に育て続けなきゃいけない窯…ではありますね。


登窯の内部には、隔壁という部屋を区切る壁が必要なんですね。この隔壁を造ったことがある人というのがなかなかいなくて。どうやって壁を造ろうかと悩んで、耐火レンガを並べて造るというのもちょっと考えたんですけれど、ここまで土で窯を造ってきたのだから、やはり壁も全部土がいいなと。効率とか頑丈さとか、そこも大事なんですけれど、窯を構想した時点で、いちばん軸になっていたのがロマンで…(笑)。それにはここにある原料でやるのがいちばんいいと思って。ここは粘土だけでなく、石も本当によく出て来る土地で。砂岩のでっかい塊が、土の中にボコボコ埋まっていて。昔の窯を見ると、砂岩で壁を造ってるんですね。それで、ここから出てきたいろんな砂岩を集めてみたんです。積み方を工夫すれば、炎の通り道ができるんじゃないかって。そこにまた土を被せて壁にしていくので、かなり分厚い土の塊を焼くような状態になるんです。内側の壁となると、両側から熱が来ますし。同じ厚みの土のオブジェを焼くと想定してみたら、割らずにつくるって結構大変なことだなと。壁が崩れずに焼けることをひたすら願いました。本当に窯造りも一つの巨大な焼きものというか…。でも、何とか焼けてくれて、よく焼けたな~と感動しました。こうして窯ができあがるまで、3年ほどかかりました。


完成した窯は「小物成(こものなり)窯」としました。ここでの窯焚きの1回目は、わからないことだらけで、個展を控えているのに、窯が崩れるんじゃないかと不安でしたね。でもなぜか同時に、行けるかもという感触もあって。温度計はないので、果たして温度が上がるのかと心配しながらでしたが、それでも1回目からとてもスムーズに温度が上がっていって。構造的には間違いなくいい窯だなと思いました。ただ、それなりの温度になってくると、ドサッという剥がれ落ちる音が聞こえてきて…。無理するところではないと思って止めました。いろんな幅の温度で焼くというのも考えたかったですし。




2回目は、剥がれ落ちたところの上に土をのせて、さらに窯を強くしていったんです。窯の厚みを造って、ある程度のところまで今度はチャレンジしようと思って。朝5時に焚き始めて、2部屋にものを入れてたんですけれど、どちらともスムーズに温度が上がっていきました。1の間がいい温度になったときに、またドサッと、割と大きな塊が落ちて来て。そこも無理するところではないので、2の間に移って。2の間は大きな塊が落ちて来ることはなかったので、釉薬が溶ける温度までちゃんと上がって焼けてくれました。温度計はないので正確ではありませんが、1250度くらい行ったかなと思います。中に入ってみたら、それほど全体が崩れそうな感じもなくて、温度が上がったお陰で、窯自体が焼き締まって来ました。


3回目は、割と本気でものを詰めて、それが何の問題もなく焼けました。窯の中はところどころ剥がれはするんですけれど、何かもう、そういうことを受け入れようというか、しょうがないというか。そういう窯なんだと。絶対壊れない頑丈な窯にしたかったわけでもないし、ちょっと怪しいなと思ったら焚くのを止めればいいし。少し剥がれたり崩れたりしたところは、化粧をかけて強くして、地道に続けていけばいいんだと。この窯で焼く前は、窯のどの場所に置いてどういう焼きを取りたいとか、そういう気持ちがあったんです。でも今は焼けて出てきたもの、全部受け入れるというか、そんな気持ちです。出来不出来で喜んだり、がっかりしたりはあるんですけれど、それでもダメなものもダメではないという感じになりました。



焼けているかを見るために窯の中から引っ張り出したもの。右から1回目、2回目、3回目。


これは、どんな具合に焼けているかを見るために、燃えている窯の中から引っ張り出したものです。右が1回目。釉薬が溶ける寸前で、窯の内部がドサッと剥がれ落ちて、ここで止めておこうと思ったときのもの。ちょっと絵が浮かび上がってはいるんですけれど、まあ焼けてはいないです。
真ん中は2回目で、2回目は釉薬が溶ける温度まで行けるかどうかって思っていたところ、「あっ、溶けた!」っていう…。ふだん釉が溶けるなんて、焼きものしてて当たり前のことなんですけれど、本当に溶けたんだって、なんとも言えない感情でしたね。溶けた!と思って見たら、「マじか~」って娘が描いていて(笑)。ああ、まさにって思ったんですよね。
左が3回目。ガス窯で還元をかけたんじゃないかっていうくらい、きれいに焼き上がっています。窯のどの場所も違う表情で…細かいことを言えば、付着物までも自然というか、どっちも焼きものなんですよね。



ここに温度計がないというのも意外にいいんです。温度計があると、どうしても見てしまう。でも、なければ火とか窯の様子とか煙とか、そこだけを見てられますから。梶原さんの窯焚きを何回か見学させてもらって、とても勉強になりましたね。自分で窯を造る前に眺めていたのと、自分で窯を始めて見るのとでは、全く違いました。やっぱりやらないとわからないことが多くて、窯が出来てからは教わることも違ってきました。以前は、矢野直人君の窯をずっと借りていたんですね。4~5年ずっと貸してくれて、あの経験がなかったらなかなか…。とくに終盤辺り、前の部屋が焚ける頃に、次の部屋は何度くらいなんだろうとか、炎の圧迫感とか、そういうのを肌で感じられたというのは大きな経験でした。今はわからないなりにも、いろんな人の意見とか経験とかが集結しているような気はしています。









この窯にしてよかったなって思ったのは、焚いたら降りものとか、土とかも落ちてくるんですけれど、窯の中で起きること全てが、何か自然な出来事な気がするんです。だから、作品をつくるときに、わざわざ味をつけようとは思わなくて。とにかく素直に焚くというか、余計なことを考えずに焚けば、自然なものが焚ける。そういう窯になったなと思います。




振り返ってみると、窯を造ろうと思ったとき、できるだけ自然のサイクルというか、自分より自然に対しての合理性や効率性を考えていました。ここで掘った土をそのまま窯をつくる土にするとか、作業をできるだけ無駄がないやり方というのにしたくて、そこはとても意識していました。薪を燃やした灰というのは、掻き出して、水樋して、釉薬になりますし。あらゆるものが循環しながら出来ていく感じです。器だけをつくるというよりは、その循環の中で器が出来ていくくらいの感じでつくっています。