樋渡賢

Interview

Ken Hiwatashi

Jun, 2021

Interview

樋渡賢


どこまでも繊細に描き、研ぎ上げる





祖父制作の蒔絵盆


秋田の実家は代々、蒔絵師の家だったんです。祖父の代から塗り物をつくるようになって、父は塗り専門に。お椀を塗ったり、仏壇を塗ったり、寺社仏閣へ塗りに行ったり、あらゆることをやっていますけれど、蒔絵はしないんです。地元は漆器の産地なので、僕も蒔絵を見てはいたんですけれど、当時はいいなと思ったことはありませんでした。

高校は公務員コースの普通科に通っていて、美術とは無縁でしたね。本気で公務員を目指していたわけでもなく、3年生まで剣道部に打ち込んで、卒業後は適当なところに就職するのも嫌で、父に弟子入りするつもりでした。そんなときに高校の先生から「お父さんに弟子入りするのもいいけど、こういう学校もあるから一度見学に行ってみたら?」と勧められたのが、石川県にある輪島漆芸技術研修所でした。

それで見学に行ってみたら…。それまでは漆の仕事をするなら職人さんに弟子入りするとか、それも分業というのが当たり前だと思っていたんです。ところが、漆芸研修所には生徒さんの卒業制作も置いてあって、最初から最後まで自分一人でつくったというもの。とても素晴らしくて感動しました。僕とそれほど年齢も変わらない人が、こういうものをつくれるんだって。そのときに塗りの作品より蒔絵の作品がとても華やかに、繊細に見えて、ものすごく格好いいと思ったんですね。

昔からきれいなものが好きで、川も山も好きだし、自然のものってきれいだなと思っていました。でも、人工物に対してきれいだと思ったことはなくて。実家で使っている漆器も、日用品ですからきれいだと思って見てなかったですし。ただ、漆芸研修所で見た生徒さんの卒業制作は、本当にきれいだなと思いました。きれいな風景を見たときの感じです。それが人工物、人がつくったものだから驚いてしまって…。




高校卒業後は5年間、輪島漆芸研修所で学びました。最初の2年間は基礎を一通り学んで、それから蒔絵か髹漆(きゅうしつ)か沈金に分かれるんですけれど、僕は蒔絵に進みました。学校はほぼ自由で、でも地元の職人さんたちは朝から晩までずっと仕事をしているから、作業は早いし、上手いし、きれい。技術もすごい。僕もただ学生をしていても手はよくならないなと思って、弟子入りしたんです。学校は週2回しかないので、同時進行で残りの5日間は弟子入りして漆漬け、蒔絵漬けの生活に。そうして技術を学んで身につけたいと思って、一生懸命やっていました。

弟子入り先では一点物もやるし、数物のときは同じ物を100個とか200個とかやっていました。いきなり実践ですからね。もちろん、うまくいかないですよ。怒られながら、残業しながらでした。先輩方もいるから、要領を見て覚えるという感じです。忙しかったので、手取り足取り教わる暇なんてなくて。最初だけ見本を見せてもらって、それをとにかく目に焼き付けるんです。メモを取るなんて無理ですから、やって覚えるしかない。蒔絵、お重、テーブル、屏風…個人ではなかなか出来ないことをやらせてもらって、とても勉強になりました。

最初の弟子入りは親方の都合で2年間で終わってしまいました。その後も輪島の漆器会社や職人さんのところにアルバイトに行って、とにかく空白がないように手を動かしていました。やり方も人それぞれ違うんです。個性もあって、同じように見えても同じことをやっている人はいないんですね。基本的なことはあっても、正解はないというか、自由なんです。蒔絵の技法はたくさんあるので、人それぞれの違うやり方を見られたのはとてもよかったです。


卒業してからは秋田で2年間、「消粉蒔絵(けしふんまきえ)」という産地の技法を漆器組合で勉強させてもらいました。結局、技術というのは、さわりを教わったら、あとは自分で研究するしかないんです。描くのは自分ですからね。
その後、東京に来て、もう十数年になります。東京に来たきっかけは、今の親方が人を探していたからです。最初は2年間のつもりが、忙しいので休みなく働いて、6~7年経った頃に、親方である室瀬和美先生が人間国宝になられました。それでさらに忙しくなって、今に至っています(笑)。
現在はその目白漆芸文化財研究所には週2~3回通っていて、半分在籍半分独立のような感じですね。そこでは文化財の修復も行っているので、昔の良い物を見られるんです。国宝の物もありますし、それを手に取ってルーペで見ることができるのは恵まれた環境だと思います。皇室の物を新たに制作することもありますし、すべて気の張る仕事です。


漆の技法にはいろいろなランクがあって、国宝の「初音の調度」のような超高級品の蒔絵もあれば、漆絵と言って、漆で絵を描くんですけれど、筆のタッチを生かしてササッと描いただけのものも蒔絵の部類なんですね。ランクは高くないけれど、雅味があって面白いんです。僕自身の作品づくりは、好みとしては一番上よりも少し下くらいのところですけれど、蒔絵はたくさん技法があるので、いろいろなものをつくりたいと思っています。ただ、どのランクでも品がないのは嫌です。そして高級感も大切です。そういうものを気を張ってつくっていきたいなと思います。

蒔絵とはどういうものか、漆で文様を描いて、その漆が固まらないうちに金や銀の金属粉を蒔き付ける、ということは皆さんご存じだと思うんです。ただ、その金属粉を研いでいる、ということは、なかなか想像できないですよね。「研ぎ」について少し知っていただけたらなとも思います。



「研磨炭」は作業に応じて使い分ける



 完成した「三雀蒔絵杯」


研出蒔絵(とぎだしまきえ)」という技法は、漆地の上に漆で蒔絵の線を描いて、金属粉を蒔いて、漆が固まってからもう一度漆で全面を塗り込みます。そして固まってから研いで、蒔絵を表面に研ぎ出すから「研出蒔絵」なんですね。研いで磨いた蒔絵は凹凸がなくて面一。ものすごく薄く、ひと膜どころではない薄いところで研ぎを止めないといけないんです。

材料の金属粉、たとえば丸粉というのは、球体をした真ん丸い粉なんです。頭のところだけを研ぎ出しても、他は漆に埋まっているので、光は鈍くなります。半径(半円)まで研ぎ出したときに、面としては最大になっていちばん光るんですね。そこを見極めて研ぎを止めます。光り方とか透け方とかを見ながらの勘です。漆の厚みは、自分で塗るので何となくわかっていますけれど、研ぎ過ぎると研ぎ破ってしまうリスクがあるんです。研ぎ破ってしまったら失敗なので、非常に細かな作業になります。その神経の使い方はなかなか言葉では伝えにくいものがあります。



 完成した「竹の子蒔絵杯」


僕が長年研究して取り組んでいる作品「羽根蒔絵」も、この研出蒔絵の技法で制作しています。金粉や銀粉を使っていますけれど、漆だけでいろいろな色に見えるように研ぎ出し加減を調整するんです。水墨画は墨だけなのにいろんな色味に見えますよね。金粉が茶色く見えたり、黄色っぽく見えたりということも、どこまで研ぎ上げるか、漆の厚みによって色の見え方が変わるんですね。色の奥行や濃淡、そういうことを研ぎの加減で調整しているわけです。

羽根蒔絵の羽根をふわっと見せるには、まず細い線を描けないと始まりません。僕の場合、常に筆を持っていないと出来ないことです。





よくスポーツ選手も練習を一日休むと、取り戻すのに三日かかるとか言いますよね。ここ10年くらいの習慣で、毎朝起きたら書の臨書をしています。筆の先に神経を集中させて、いま筆のどこが紙の上にのっているかというのを手に感じながら、このお手本の字を書いた人はどういうイメージで書いたのかななど想像を膨らませています。そうして紙が真っ黒になるまで書いてみたり…。書いてもだいたい30分から長くて1時間くらいです。




朝に臨書をすることで、静かな気持ちからだんだんと集中力を高めていって仕事に向かうんです。筆先の微妙な上下によって線の強弱が表れますから、神経をコントロールしていくために、朝から臨書で気持ちを上げていくという感じです。ともすれば、ちょっと電話が鳴っただけで集中力が途切れてしまったりするので、そこから戻してというのはなかなか難しいですけれど、朝に臨書をやっておくと、ずっと気持ちを維持できるというか。いいトレーニングです。



「羽根蒔絵杯」


盃のような小さい器は、内側に絵を描いて研ぐというのは難しい作業になります。筆の先のほんの1本で描いているので、器の形に沿って描くのは大変で、あまりやる人がいないんです。でも、内側に蒔絵があるときれいですし、見え方が無限にひろがるというか、複雑になるんですね。難しくて大変な分、仕上がりが良くなります。僕は20年くらい研究していて、これまでに完成したのは10点もないかもしれません。


蒔絵の技法は、たくさんありますからね。さらっとした日常使いのものが好みという方もいらっしゃいますし。僕自身は、鍛錬を積んで、気を張った仕事に取り組んでいきたいと思っています。