江戸切子の地元に育って
私は子どもの頃から江東区(東京)に住んでいて、江戸切子についてはなんとなくこういうものだというのは知っていたんです。だからといってどうというわけでもなかったのですが、たまたま大学に入る前に、江東区の文化センターで江戸切子の講座があるというのを知って習い始めたんです。もともと子どもの頃からガラスが好きだったので、江戸切子はなんとなく知っているから習ってみようかなという気軽な気持ちで始めて。そのうちに江戸切子は下町の産業だということなども、後からわかってきたんですね。
その講座の講師をされていたのが、後の私の師匠、小林英夫先生だったんです。大学に通いながら週1回の講座で4年間習って、もっと切子について本格的に学びたいなと思って卒業後に弟子入り、9年ほど修行させていただきました。小林先生の作風というのは、大胆でカットの思い切りが良くて、かつ繊細な柄も入っていてというもの。それを間近でずっと見ていて、とても魅力的な作品だったので、私も自分の作品に太い線を入れたり、動きのある大胆なカットを入れたりしています。それは小林先生の美学みたいなものを受け継ぎたいなと思って意識していることです。小林先生はいつも“オラの真似をすんじゃねえぞ”と言っていたので、なるべく精神は引き継ぎつつ、難しいですけれど、少しずつ自分ならどうするかということを探りながら作っています。私はポップなものも好きで、水玉だけの作品などは自分で始めたことです。ア・シンメトリーなデザインをメインに、というのも自分らしさかなと思っています。
切子というと、江戸切子と薩摩切子が代表的ですけれど、切子が始まった江戸時代には、江戸切子は透明なクリアーガラスに細工したものが主流で、薩摩切子は色被せしたガラスに細工したものが主流でした。いまは江戸切子も色被せしたガラスを使いますし、私もカラフルなものが好きなのでさまざまな色で作っています。オーソドックスなルリという青、藍色がかった青、金赤などがよく使う色で、あとはアンバーとか黒も好きですし、ちょっとシックな茶とか緑も大好きで緑は何種類か作っています。
江戸切子と薩摩切子の主な違いは、彫っている角度とか、色の被せ方ですね。薩摩切子の場合は、色の層が厚くて、そこを鈍角にカットしていくため、カット面にグラデーションが出るという特徴があります。江戸切子の場合は、色の層は外側の薄い膜のような感じで、表面をカットするとすぐに色が削れて、クリアーと色の部分のコントラストがはっきり出ます。
私の場合は江戸切子の系統で、鋭角のカットでしかも深く切り込んでいくので、バキッとした感じのコントラストになっています。触ったときにゴツゴツするような深いカットが好きなんです。触り心地も楽しんでもらいたいので、生地は厚めで、それを深くカットしてということにこだわって作っています。
私の仕事は、器の状態のものにカットを施して磨くというものです。生地(器)自体は、型紙を作りまして、それを吹きガラスの方に吹いていただいています。なので、器になった状態からデザインを考えて、カットして磨いていくという仕事になります。
切子の魅力は、まずガラスの魅力というのがすごくあるなと思っていて。ガラスって、物として存在しているのに透明で、すごく不思議だし魅力的。カットしなくてもとてもきれいですよね。そこに切子を入れるからにはもっとよくしなければいけないなと思って、そこは大事に考えています。カットしたことでより輝きが出たりとか、ちょっと動きが出たりとか、そういう楽しいものをつくれたらなと思っています。
酒器は手にして楽しいものを
酒器は、器としては小さくて面積が狭いので、あまりいろいろなものを彫り込んでしまうと息苦しくなってしまいます。なので、伝統的な紋様の
お酒は好きですし、酒器は飲む立場から作っていると思います(笑)。たとえば、持ったときの感触ですね。自分の好みとしては軽いぐい呑みが好きなんですけれど、切子はどうしても重くなってしまうんです。それで、重いなりに何を特徴にしようかと考えて、ゴツゴツとした触感とか、見た目の輝きかなと。そこを楽しめるように、手に持って飲んで“あぁ、なんかいいな”と思ってもらえるようにしたいと思っています。
切子は、ちょっと普段と違うときとか、今日はなんとなく気分がいいから切子でも使ってみようかとか、それくらいの感じで使っていただけたらなと。気分転換というか、もちろん日常使いであってはほしいんですけれど。ちょっと切子があるとウキウキするなみたいな感じで使っていただけると嬉しいです。